導入と防災庁設置の背景
日本は地震や台風、豪雨、火山噴火など、さまざまな自然災害に頻繁に見舞われる国です。令和7年1月17日の首相会見でも語られたように、阪神・淡路大震災から30年を迎える今、防災対策を改めて見直し、強化する必要性が強く訴えられています。特に、今後30年以内に高い確率で起こるとされる南海トラフ巨大地震や首都直下型地震への備えは急務です。
こうした背景から、政府は2026年度(令和8年度)からのスタートをめどに新たに「防災庁」を設置する方針を固め、現在議論を進めています。従来、防災にかかわる国の司令塔的機能は内閣府防災担当が担ってきました。しかし、頻発・激甚化する災害に迅速かつ総合的に対応するには、さらなる予算の拡充や専門組織としての指令塔機能を強化する必要があります。これが防災庁設置の根本的な動機となっています。
防災庁設置の背景にある3つの大きな要因
- 災害の激甚化・頻発化
近年は大規模な地震だけでなく、台風や線状降水帯による豪雨災害が毎年のように発生しています。東日本大震災(2011年)や熊本地震(2016年)以降も、西日本豪雨(2018年)、令和元年東日本台風(台風19号、2019年)、令和2年7月豪雨(2020年)などが相次ぎました。令和6年には能登半島地震が発生し、大きな被害が生じています。こうした繰り返される災害から、被災者の生活再建には専門的・長期的な支援が欠かせません。 - 多様化する災害対応
かつての災害対応は、消防や警察、自衛隊などが中心となり、いわゆる「公助」が重要でした。しかし阪神・淡路大震災(1995年)以降は「ボランティア元年」ともいわれ、多くの一般ボランティアやNPO、企業など「共助」の力が災害復旧・復興を支えてきました。さらには復興期には自治体・企業・NPOなど多様な主体による長期的な取り組みが必要となり、それらを調整するコーディネート役の不足が指摘されるようになりました。 - 司令塔機能と専門人材の不足
防災・減災分野には国土交通省、厚生労働省、農林水産省、経済産業省、気象庁など多くの省庁や機関が関わります。しかし、平常時からの連携体制を強化し、災害時に縦割りを越えて一括調整できる専門機関がさらに必要とされています。内閣府が各省庁の調整役を担ってきましたが、近年の災害規模や多様なニーズに十分対応するには、人員・予算の面で限界があるとの指摘もあります。
こうした課題に対処すべく、政府は「内閣府防災担当」を母体に「防災庁」を設立し、災害対応の司令塔機能を抜本的に強化するとともに、防災デジタルトランスフォーメーション(防災DX)の推進や、南海トラフ地震・首都直下型地震に備えた大規模かつ事前の防災対策を主導する方針を掲げています。
防災庁設置のメリットと課題
- メリット
- 指揮命令系統の一元化:災害時に複数の省庁が連携する際、調整の時間や手間を軽減。
- 専門人材の集約:気象、地質、工学、医療、福祉、ITなど幅広い防災分野の有識者を集められる。
- 防災DXの司令塔:新総合防災情報システム(SOBO-WEB)などを核に、防災関連データを一元管理・分析し、自治体と連携できる体制を構築可能。
- 課題
- 既存省庁との調整:縦割りの一つとして形骸化しないための連携ルールが必須。
- 人員・予算:大規模な組織となれば予算確保が重要。
- 地域との距離感:行政や自治体だけでなく、NPO・ボランティア・企業との連携ルートをどこまで構築できるか。
防災庁の新設は、多くの利点をもたらす一方、平時からの準備や他の省庁との連携が十分に取れるのか、さらに地域社会の防災力との協働をどのように活かすかが大きな課題です。
防災庁の具体的な検討内容
防災庁構想では、従来の災害対応の在り方を大きく見直す案が提起されています。中心的な柱は、大きく分けて次のようなものです。
司令塔機能の強化
過去の大規模災害時には、被災自治体のマンパワーや専門知識が不足し、また国からの応援や支援物資をどう受け入れるかなどの「受援調整」も円滑にいかないケースが見られました。防災庁は「災害対応の司令塔」として、以下のような役割を担うことが期待されています。
- 情報の一元管理
災害時に散在する被害状況、交通規制情報、避難所情報などを新総合防災情報システム(SOBO-WEB)でリアルタイムに共有する仕組みを構築します。これにより、自治体や関係省庁、企業、NPO間の情報連携がスムーズになります。 - 現地調整と応援要請
内閣府の「プッシュ型支援」を強化し、被災地が発する要請以前に必要物資や専門人材を派遣できる体制を整えます。また、専門家や応援職員を円滑に現地に送るため、宿泊施設の確保や物流の調整を防災庁が一括して行うことも検討されています。 - 官民連携のハブ
ボランティアやNPO、企業による被災者支援を総合的にマッチングする役割も担います。例えば、キッチンカーやシャワー車、トイレカーといった移動設備をどの避難所に優先的に回すかといった調整を、地方自治体だけでなく防災庁も主体的に行うことで、漏れや重複を防ぐ狙いがあります。
防災DX(デジタルトランスフォーメーション)の推進
災害時には「どこで」「誰が」「何を困っているか」を把握し、素早く対処することが不可欠です。そのために、最新のデジタル技術を活用した防災DXが重要視されています。
- 被災者支援のデータベース化
避難所生活支援や要配慮者(高齢者や障害者など)へのケアには、正確な情報の把握が必須です。すでにNPO・ボランティア団体を事前に登録する制度や、被災者情報を統合管理する仕組みづくりが進められています(令和7年度中に運用開始予定の登録制度など)。 - リモート判定・遠隔診療
住家被害認定調査や、避難所での医療行為をITで補い、専門家が現地へ駆けつける時間を削減する取り組みが検討されています。ドローンによる被害調査や、AIを使った浸水予測なども例として挙げられます。 - 災害時応援協定システムの強化
国や自治体が民間企業等と締結している災害時応援協定をデータベース化し、いつ・どのタイミングで・どの企業が・どんな支援をできるかを一元管理するプラットフォームの構築が進められています。
ボランティアやNPO、企業との協力体制
防災庁は「公助」と「共助」を効率よく結び付けるハブ役を目指しています。例えば、以下のような連携が想定されています。
- NPOやボランティアとの連携(災害中間支援組織)
災害ボランティアセンターを運営する社会福祉協議会だけでなく、専用の中間支援組織を各都道府県に設置し、多様な団体が持つ特化したノウハウを最大限に活かす仕組みを整備します(例:足湯や被災者への心のケア、障がいのある人の避難支援など)。 - 企業との連携
発災直後から物流業者や通信事業者、宿泊事業者などが支援に入る体制づくりが鍵となります。すでに令和6年能登半島地震でみられたように、トイレカーや移動式ランドリーカーを保有する企業、キャンピングカーを提供する企業、ドローンで物資を運搬する企業などが活躍しています。

防災庁が目指す将来的な姿
国民一人ひとりの安全・安心を最優先に、以下のような中長期ビジョンが示されています。
- 防災省への格上げも視野
現時点では「庁」として出発しますが、南海トラフ巨大地震や首都直下型地震のリスクを踏まえて、将来的には「防災省」としてさらなる機能拡充を図る可能性も議論されています。 - 地方拠点設置の検討
被災地が首都圏のみならず全国各地に及ぶ可能性を踏まえ、関西をはじめとする各地に拠点を置く案や、分庁方式で東京以外にも防災庁の支部を設ける構想もあります。 - フェーズフリーの概念
平常時から災害時まで切れ目なく防災を意識し、行政だけでなく家庭や企業の日常生活の中に防災を組み込むという考え方が盛り込まれています。たとえば避難所に使用する折りたたみベッドや発電設備を、平時はイベントなどで活用する取り組みなどが例として挙がっています。
所属省庁や連携体制の議論
防災庁の設立にあたっては、どのように各省庁を束ね、どこまで権限を持たせるのかが大きな焦点です。すでに気象庁や海上保安庁など、災害対応に密接に関わる組織の扱いも含め、以下の点が議論されています。
所属省庁の検討と組織構造
(1) 内閣府からの独立
- 内閣府防災担当を母体とする
防災庁は、基本的には現在の内閣府防災担当を発展的に分離・独立させる形で検討されています。すでに内閣府防災担当では、TEC-FORCE(緊急災害対策派遣隊)やD-EST(文部科学省の教育支援チーム)など省庁横断の組織を調整してきましたが、これをさらに強化し、人的・予算的リソースを増強する方向です。
(2) 気象庁や消防庁との連携
- 気象庁
地震・台風・豪雨の予測に関するデータを防災庁が迅速かつ的確に活用するには、気象庁との緊密な連携が欠かせません。気象庁を防災庁の下部組織とする案や、別組織のままシステム的に統合する案など、さまざまに検討されています。 - 消防庁
消防庁は総務省の外局として存在し、全国の消防機関の統括を行っています。災害時には消防機関の動員などが必要なため、防災庁との役割分担・連携の在り方が重要な検討ポイントとされています。
(3) その他関連省庁との役割分担
- 国土交通省:インフラ復旧やTEC-FORCE派遣などの調整
- 厚生労働省:避難所での医療や介護、福祉サービスの提供
- 農林水産省:農漁業被害の対策やMAFF-SAT(農林水産省災害対応チーム)
- 経済産業省:停電や燃料供給の確保、物流網の維持 など
これらの省庁と防災庁が、災害時に互いの専門性を活かしつつ、司令塔としての防災庁が最終的な方針を示すという指揮系統が理想とされています。
都道府県・市町村との協力体制
防災は現場が基本です。被災するのは市町村であり、実際に住民との密接なコミュニケーションを図るのも地方自治体です。ただ、近年の大規模災害では基礎自治体だけでは対応が難しく、都道府県が大きな役割を果たしています。そこで次のような協力体制が模索されています。
- 都道府県中間支援組織(災害中間支援組織)の整備
すでに23の都道府県にて、「災害中間支援組織」が活動を始めています。これは平時からNPO・ボランティア・企業・行政をつなぎ、災害時には情報共有会議や物資輸送計画の策定などを行う組織です。防災庁はこうした都道府県レベルの中間支援組織の設立や機能強化を推進すると見られています。 - 市町村の被災者支援補助
被災市町村が災害ボランティアセンター(社協運営)を開設し、NPOやボランティアの受け入れをする際に、国の災害救助費を活用しやすくするなどの制度改正が進んでいます。今後は防災庁がその手続きを簡素化し、自治体を後押しする形が想定されています。
官民連携の枠組みづくり
防災庁がもう一つの大きなミッションとして掲げているのが、官民連携のいっそうの推進です。既に内閣府の事業として「防災×テクノロジー官民連携プラットフォーム」や「防災経済コンソーシアム」といった枠組みがありますが、防災庁設立後はさらにスケールアップが期待されています。
- 企業との災害時応援協定の集約・管理
災害発生時には物流や通信、建設、住宅、医療、飲食業など多様な企業が支援を行いますが、それらの協定を平時からデータベース化しておくことで、発災直後に「どの企業に、どのような支援を要請するのか」が一目でわかる体制を整備します。 - 災害関連ビジネスの育成
カセットボンベ式の発電機、可搬式シャワー設備、段ボールベッド、キッチンカー、トイレカーなど、災害対応で必要とされる製品・サービスを平時から活用しやすい制度や補助を検討することで、市場を拡大し、防災産業を育てる狙いも持っています。
国際連携と海外支援
日本は災害大国と言われるほど被害を受けてきた一方、災害対応やリスク管理の知見を蓄積してきました。防災庁が設立されれば、そのノウハウを国際的に発信し、アジアを中心に海外での災害支援にも寄与できるとの期待があります。
- 国連や海外政府との協力
阪神・淡路大震災や東日本大震災などの知見を「仙台防災枠組2015-2030」にも活かしてきましたが、防災庁を通じてさらに体系的に情報発信できる見込みです。また「クラスターシステム」の導入など、海外の災害支援体制に学ぶことも議論されています。
今後の課題と展望
防災庁設置後に想定される効果
(1) 災害対応の迅速化と効率化
防災庁が中心となって被災地全体を俯瞰し、さまざまな支援を一元的にコーディネートすることで、「公助」と「共助」の連携がより円滑になります。従来、物資が偏在してしまったり、情報不足で孤立する地域が出たりという問題が生じていましたが、こうした事態を最小限に抑えられると期待されています。
(2) ボランティア・NPOの活躍促進
平時からの専門研修や、団体・人材の登録制度を通じて、災害時に必要な専門的ボランティアを迅速に派遣する仕組みが整います。段ボールベッドの設営、炊き出し、仮設入浴施設の運営、要配慮者のケアなど、それぞれ専門性が高い活動を効果的にサポートできるようになります。
(3) 地域防災力の強化
防災庁が「全国一律の防災」を指揮するだけでなく、地域ごとの特性(地震、津波、豪雨、土砂災害など)に応じた計画策定や防災教育を強化することで、各自治体が自らの地域特性に合った備えを実践しやすくなります。地元企業やコミュニティ組織と連携した防災訓練も、より実効性のある形で推進できるでしょう。
課題と懸念点
(1) 組織の巨大化と縦割りの懸念
新組織が大きくなることで、既存省庁との調整に時間がかかったり、二重行政の問題が出る可能性があります。防災庁が調整主体になるにあたり、どこまで権限を持たせるか、明確なルールづくりが必要です。
(2) 財源・人材確保
大規模な予算確保が求められ、防災関連にどれだけの優先度を置くかも政治判断が必要になります。加えて、専門人材をどう育成し、長く確保していくかが大きな課題です。
(3) 地域との距離
官庁が主導で動くと、地域コミュニティやNPO、民間企業との連携が形骸化しやすいという指摘があります。平時からの顔の見える関係をどう作り、災害時にそのネットワークを円滑に使うかは依然として大きな課題です。
将来像と展望
(1) 防災庁から防災省へ
首相の記者会見でも語られたように、将来的には「防災省」へ昇格する構想があります。防災庁がうまく機能し、かつ南海トラフ巨大地震や首都直下型地震などへの備えを万全にするために、さらなる強化が必要になるという見方です。
(2) 防災DXのさらなる推進
デジタル庁や各省庁、IT企業などとの連携を深め、AIやクラウド技術を用いた防災情報の分析・可視化を進めることで、従来の紙ベースや現地調査に頼らない、よりスピード感のある災害対応が期待されます。
(3) 国民の意識改革
「自助・共助・公助」の考え方のうち、自助・共助を強化しない限り、どれほど公助を拡大しても救える人数やスピードには限界があります。防災庁は、学校教育や地域のワークショップ、SNSやマスメディアを通じた啓発などで、国民の防災意識を継続的に高めていく啓発活動も担うとみられています。
「防災庁とは」の答え
以上の議論を踏まえると、「防災庁」とは以下のようにまとめられます。
防災庁とは、近い将来に新設される予定の、災害対策の総合的な司令塔機関である。内閣府防災担当を強化・発展させ、専門性の高い人材と豊富な予算、そして先端技術を活かして、災害に強い社会を作ることをめざしている。行政・企業・NPO・ボランティアなど多様な主体をまとめ、災害の予防・応急対応・復旧・復興のすべてのフェーズで連携を促すことで、災害による被害の最小化と被災者の迅速な救援・支援を可能にする組織。
今後、防災庁の具体的な制度設計や、他省庁・自治体・民間との役割分担などが本格化し、議論が煮詰められていきます。最終的には実効性ある形で「防災庁」が稼働することで、日本の災害対応が大きく変わることが期待されるでしょう。