近年、日本の医療現場で「外国人による医療費未払い」が顕在化しています。訪日外国人観光客の増加に伴い、自由診療や緊急入院など高額な医療費が発生する場面も増え、医療機関にとって看過できない問題となっています。本章では、医療費未払いの「実態」「制度背景」「影響」の三つの視点から、現状を紐解いていきます。
訪日外国人と未払い医療費の実態
厚生労働省の調査によると、2023年9月に外国人患者を受け入れた全国2813の病院のうち、18.3%にあたる516施設で医療費未払いが報告されています。これは、2022年度の19.9%からは微減したものの、依然として高水準です。
注目すべきは「件数」よりも「金額」です。未払い1件あたりの平均額は5万円以下が多数を占めるものの、100万円以上の未払いも42件発生しており、最高額は1846万円にも達しました。たった一件の未払いでも医療機関の財務に与えるインパクトは非常に大きいのが現実です。
日本人と外国人の制度的ギャップ
未払いリスクが高まる最大の要因のひとつが、「保険制度の有無」です。日本人は国民皆保険制度により、基本的に医療費の7割が公費で賄われます。対して、短期滞在の外国人旅行者や不法滞在者は公的保険に加入しておらず、医療費を全額自己負担しなければなりません。
さらに、日本の医療は原則「後払い制」です。医療サービス提供後に支払いが発生するため、患者が診療を受けたまま支払いせずに帰国する――というケースが後を絶ちません。これが、未払いの温床となっているのです。
また、訪日外国人が加入する「海外旅行保険」も、必ずしも医療機関側に直接支払ってくれるものではなく、多くは患者が一度立て替えた後に請求する方式です。患者自身が保険内容を理解していないケースも多く、「保険に入っているから大丈夫」と言い残して退院したものの、実際には支払われないといった問題が頻発しています。
ケーススタディで見る未払いのパターン
ケース① 支払い方法がわからず未払い
例えば診療後、支払い方法の案内がなされなかったために、患者が「無料だと思って」帰ってしまうケースです。悪意はないにもかかわらず、言語の壁や制度の違いによって生じる典型的な誤解型未払いです。
ケース② 土日退院で支払えず帰国
退院が土日に重なり、病院側の会計部門が不在のため、正規の清算ができず、結果的に支払われないまま帰国してしまう例もあります。短期滞在外国人特有の時間的制約が要因となっています。
ケース③ 保険加入を誤信したまま未払い
患者が「保険があるから大丈夫」と誤解しているケースです。医療機関側が支払保証を確認しないまま退院させてしまうと、後に保険会社から「立替払いが原則」と拒否され、医療費が回収不能になる可能性も。
数字が示す「未払い」は氷山の一角
未払い総額そのものは、日本全体の医療費から見れば「1%以下」にとどまることが多いですが、問題の本質は「1件あたりの額の大きさ」と「回収困難性」にあります。特に訪日外国人の場合、入国・滞在・出国のサイクルが短く、支払いの意思があっても物理的に不可能になるケースも珍しくありません。
さらに、外国人の受診時には言語・文化の違いが加わります。費用説明がうまく伝わらず、相手が支払義務そのものを認識していなかったケースも多く、結果として未払いの「再発」が防げないという悪循環に陥っているのが実情です。
外国人医療費未払い問題の本質は、単なる「踏み倒し」ではなく、「制度の隙間」や「情報の不足」にあります。支払う意思も能力もあるのに支払えない――そういったケースが多いのです。これは、対策次第で未然に防げる未払いであり、医療機関側の体制整備とルールの明確化によって大幅な改善が見込める領域だといえます。
外国人医療費未払い問題の本質的課題
前章で紹介したように、外国人による医療費未払いの多くは「制度的・構造的な欠陥」や「文化的誤解」が要因です。本章では、未払いを引き起こす3つの主要課題――すなわち、①支払い能力の不一致、②制度的・言語的ギャップ、③医療機関の受入体制の不備――について深掘りし、なぜ解決が難しいのかを明らかにします。
① 支払い能力と請求額のギャップ
外国人患者の中には、そもそも支払い能力がない人が一定数存在します。特に以下のようなケースが問題視されています。
- 不法滞在者や無収入の留学生:在留資格が不安定で働けず、保険にも加入できずに高額請求となるケース
- 旅行者:自由診療が前提となるため、軽い診察でも高額になりやすい
こうした人々は、日本における医療費の高さを想定できておらず、支払い不能に陥るのです。中には「検査1万円でも安いと思っていたら、10万円かかった」といった事例も見られます。保険加入が義務ではないため、費用感の認識がずれているのです。
また、日本人のように医療費に3割負担という前提がないため、自己負担額が高額になることを初めて会計時に知る人もいます。これは制度の違いによって生じる、避けがたいギャップです。
② 医療制度・文化の違いが引き起こす「意思ある未払い」
次に挙げられる課題は、「支払う意思はあるが支払えない」ケースです。これが実はもっとも防ぎやすい反面、放置されがちです。原因の多くは、日本と外国の医療制度や文化の違いにあります。
後払い制度のギャップ
例えば、日本では診療後にまとめて会計を行う「後払い方式」が一般的です。ところが、海外では事前に価格が提示され、前払いまたは即時決済という国が多いため、「請求がない=無料」と誤解して帰ってしまう例もあります。
金額提示の文化の違い
海外では、検査や処置を提案する際に「〇ドルでこの治療を受けますか?」と患者に選択肢を与えるのが普通です。一方日本では、医師の判断で処置が行われ、金額は会計で初めて知らされることが多い。これが「説明がなかった」「だまされた」と感じさせ、支払い意欲を失わせることにつながります。
保険制度の誤認
患者本人は「保険に入っている」と信じていても、実際には立替払い型の旅行保険であったため、支払いが必要だと気づいていない例も多発しています。保険の種類や適用条件を誤認していることがトラブルを生むのです。
③ 医療機関側の体制不足
医療機関の準備不足も、未払い問題を深刻化させています。以下に代表的な課題を列挙します。
項目 | 内容 |
---|---|
言語対応 | 外国語の案内が不足。会計や治療内容の説明が伝わらない。 |
前払い体制の未整備 | クレジットカード非対応、保証金制度なしなど。 |
休日の会計対応 | 退院日が土日だと会計処理が間に合わない。 |
保険確認不足 | 患者の保険内容を確認せず、支払い保証を得ないまま退院させてしまう。 |
スタッフ教育不足 | 通訳の使い方、事前説明の徹底が現場に共有されていない。 |
特に中小規模の病院では、外国人患者を想定した対応マニュアルが存在しないケースも多く、属人的な判断で処理される結果、未払いが常態化する傾向にあります。
国としての制度整備の遅れ
政府もようやく2025年に入り、対応を加速させつつあります。たとえば以下のような動きがあります。
- 医療費不払い情報の出入国審査への活用
- 入国時の民間保険加入義務化の検討
- 国保の保険料未納防止策(資格管理の強化)
- 自治体による未収金補填制度の拡充(例:東京都など)
しかしこれらは「事後対策」にとどまるものも多く、「予防」に重点を置いた対策としてはまだ道半ばと言えます。
解決を妨げる“沈黙の文化”
加えて、日本の医療機関には「金額を提示しにくい」「お金の話を患者にするのが気が引ける」といった文化が根強く残っています。これが外国人にとっては「説明不足」「不信感」につながり、最終的には支払い拒否の引き金になるのです。
また、患者が帰国した後の国際的な回収手段の不備(送金手数料、法的執行不能、住所不明など)も、課題を複雑化させています。
本章のまとめ ― 「課題」は多いが、手はある
外国人の医療費未払い問題には、経済的問題だけでなく、制度的・文化的要因が複雑に絡み合っています。特に支払う意志がある患者に対しては、医療機関側の配慮・準備不足が大きな障壁となっているといえます。
これは言い換えれば、「課題が明確であり、解決策も存在する」ということでもあります。次章では、こうした課題にどう対応するか、現実的かつ効果的な対策を網羅的に紹介します。
外国人医療費未払いを防ぐための現実的対策と制度的アプローチ
外国人による医療費未払いは、単に「支払わない人が悪い」という問題ではなく、制度・運用・文化・認識のズレが重なった結果です。本章では、「医療機関が今すぐできる対策」から、「国や自治体による制度的支援」、さらには「将来的な政策提案」まで、具体策を包括的に解説します。
医療機関が今すぐ始められる5つの実践対策
1. 多言語化と事前説明の強化
言葉が通じなければ、支払いの意味も伝わりません。未払い患者の多くが「制度や費用の説明がないまま受診した」と感じています。
- 受付時に多言語パンフレット配布
- 診察後の支払い案内の外国語対応
- 掲示・会計機の英語化(最低限)
- 治療内容と概算費用を事前に提示する文化の導入
これらは翻訳ソフトや支援サービス(例:mediPhone)を活用すれば、大きなコストをかけずに実現可能です。
2. 本人確認と支払能力の確認
受付時にはパスポートや在留カードの確認を徹底し、身元保証を明確にします。また、高額医療が予測される場合は以下のような対応が効果的です。
- クレジットカードの事前提示または情報登録
- 保証金(デポジット)の制度導入
- 高額な場合には一部前払いを要請
こうした手続きは、相手に「支払い義務がある」と心理的に認識させ、逃げ得を防ぐ抑止力になります。
3. 支払手段の多様化
現金主義が根強い日本の医療機関ですが、世界では「キャッシュレス」が主流です。クレジットカードだけでなく、以下のような方法も選択肢に加えましょう。
- 銀聯カード(中国系)
- Apple Pay/PayPayなどスマホ決済
- インターネット経由のオンライン決済(PayPal等)
「できる限り現金で」と明示した上で、やむを得ない場合に限り他手段も受け入れるという“例外主義”でも、患者満足と未払い防止に貢献します。
4. 土日退院など特殊ケースの事前対応
休日・深夜に退院する訪日患者は、支払いができずに帰国するリスクが高くなります。以下のような制度整備が有効です。
- 事前に退院予定を把握し、前日までに請求額を確定
- 休日会計窓口の整備または暫定支払いの運用
- 会計対応可能な時間帯の制限を明示
退院が直前に決まる場合でも、医師や看護師と連携すれば「事前会計」の流れは構築可能です。
5. 海外旅行保険への対応マニュアル整備
「保険があるから大丈夫」と言う患者でも、実際は立替払い方式だったり、補償外だったりすることが多々あります。以下のようなルールの整備が不可欠です。
- 支払い保証が確認できない場合は、原則立替払い
- 直接支払い対応は、保証書が確認できた場合のみ
- 支払い保証の確認を診療中に行うフローを導入
また、説明資料を複数言語で用意し、「保険加入=支払い不要ではない」ことを周知させることが重要です。
国・自治体が講じるべき制度的アプローチ
1. 未収金補填制度の全国整備と予算拡充
東京都や群馬県、山梨県では、すでに未収金の補填制度が実施されています。これを全国に拡充し、医療機関の負担軽減と安心感の提供が必要です。
- 申請フローの簡素化
- 上限額の引き上げ(例:200万円→300万円)
- 慢性疾患への対象拡大(現在は緊急医療中心)
一方で、制度を悪用されないよう、医療機関の回収努力の記録義務は厳格に維持すべきです。
2. 情報連携の強化 ― 入管とのデータ統合
厚労省と出入国在留管理庁が連携して導入した「医療費不払い情報共有システム」は有効な抑止力となっています。今後は以下のような改良が求められます。
- 報告対象金額の引き下げ(現行20万円→10万円など)
- 再入国制限などの行政処分の明文化
- 患者への事前通知と同意書の配布義務化
この制度の周知が進めば、「不払いをすると再入国できなくなる」という抑止力が働き、トラブルは確実に減少します。
3. 入国前の民間保険加入義務化
2024年の政府検討によれば、「訪日外国人に対する保険加入の義務化」が議論されています。これは非常に有効な施策ですが、次の点に配慮が必要です。
- 最低限の補償内容を国が定義する
- 加入証明書の提示を査証条件にする
- 受入医療機関が事前に保険会社と契約できる仕組み
観光立国を目指す日本にとって、国際基準並みに医療保険の整備を進めることは急務です。
予防と仕組みづくりが最大の防御
外国人の医療費未払いは、実は「発生させなければ、ほとんどが防げる」問題です。現場での工夫と、制度的な後押しがかみ合えば、医療の国際化が健全に進みます。
未払い防止の要は、以下の三つに集約されます。
- 診察前の本人確認と費用説明の徹底
- 多様な支払い方法と柔軟な体制整備
- 国としての保険義務化と情報連携の強化
日本の医療は世界的にも高品質とされますが、それを維持するためには「財源の安定=未収金ゼロ」が前提です。医療ツーリズムや在留外国人の増加が見込まれる今こそ、全国的な意識と整備が求められています。